1.子供の頃〜アイリッシュ・ミュージックとの出会い
Q(白石))最近の日本には数多くのアイリッシュ・ミュージシャン達が来日していますが、これまでダーヴィッシュが来なかったのは七不思議のひとつでした。今回、始めてダーヴィッシュのエキサイティングなパフォーマンスを生で聞く事が出来て大変感激しています。最初にお二人のそれぞれに、家庭の音楽環境について伺いたいのですが。ご家族や家系にフォーク・ミュージックをやっていた人はいるのでしょうか?
B(ブライアン・マクドーナ))祖父はバイオリンを演奏していたけれど、それはクラシックだった。私はダブリンで生まれてアイリッシュ・ミュージックを全然聞かずに育ったんだ。プランクシティやホースリップスを聴くまではね。

キャシー・ジョーダン(ヴォーカル、バウロン)写真提供:プランクトン
C(キャシー・ジョーダン))私の家はいつも音楽が溢れていたわ。父親の友達の高齢のミュージシャン達がフィドルを弾いたり、私の祖母もアコーディオンを弾いていました。家には沢山の楽器があったけれど、両親共に歌を歌っていたわ。父は沢山のトラディショナル・ソングのレパートリーを持っていたのです。私の家は近所の人達がセッションをやりに集まってくる家で、私達子供達も皆歌っていました。...でも、音楽は常に趣味のものと考えられていたので、私が定期的に歌う様になると父親は生計を立てられないのではないかと心配した事もありました。確かに、たまにはそうですけれどね(笑)。
Q)キャシーさんは子供の頃にゲーリック・ソングに親しんでいたのでしょうか?
またゲール語(アイルランド語)は話していたのですか?
C)いいえ。ドニゴールやゴールウェイやクレアやケリーの様な地方や、私の出身のロスコモン(アイルランド中北部の州)でもゲール語の面影が残っている場所があったけれど、私のところはそうではありませんでした。私自身は学校でゲール語を習ったのです。でも14年間習っても、読み書きは出来ても話す事は出来なかったので、その後にコネマラのゲール語の学校に勉強に行った事もあります。私のゲーリック・ソングは学校で習ったものも少しありますが、母がゲール語を上手く話す事が出来たのです。何故なら母の時代は言語の復興運動の時代で、学校でも宗教から算数まで全てゲール語で教えていましたから。しかし父は12歳の時に学校を出てしまったのでゲール語を話す事は出来ませんでした。
ブライアン・マクドーナ(マンドーラ)写真提供:プランクトン
Q)なるほど、今度はブライアンさんに伺いますが、今のあなたのメインの楽器であるマンドーラを何故使う様になったのですか?
〔注:マンドーラMandola とは、大型のマンドリン(音域は当然マンドリンよりも低い)の事で、マンドチェロMandocelloなどとも呼ばれる。〕
B)12歳ぐらいの時だったが、学校の帰宅途中に菓子でも買おうと寄った店にマンドリンが吊ってあったのを見つけて、親に買って貰ったんだ。多分、当時の私にはギターでは大きすぎたので小さなマンドリンならば弾けると思ったのだろう。しかしこの時はまだマンドリンの音楽もアイリッシュ・ミュージックも知らなかったので、マンドリンで何を弾いて良いか分からず、それでアンディ・アーヴァインを聞きはじめたんだ。
Q)それでマンドーラを選んだという訳は?
B)マンドンリンが段々大きくなったという訳さ(笑)。今回、日本で弾いている楽器は実はアンディ・アーヴァインから貰ったものなんだ。昨年6月に25年間も弾いていたマンドーラが無くなってしまったからね。フランスの航空会社のせいでね。
Q)今回の楽器はもともとアンディ・アーヴァインの...
B)実際にはシターンなんだ。
Q)基本的な質問ですが、マンドーラとシターンは同じものなのですか?
B)マンドリンがバイオリンならばマンドーラはビオラなんだ。ブズーキはもっと大きなコントラバスみたいなもので、シターンはその中間という訳だ。つまり大きさの違いなんだ。
Q)弦については?
B)同じだが、音やチューニングが違う。今回はシターンにカポを付けてマンドーラのチューニングにしたんだ。
〔注:これは余談だが、先にナンシー・カーとのデュオで来日したジェームス・フェーガンも「時には自分のブズーキにカポを付けてマンドリンの様な高い音を出している」と語っていた。〕
Q)ところで、先程、始めて聞いたアイリッシュ・ミュージックとしてプランクシティやアンディ・アーヴァインなどの名前を挙げられていましたが、それはライヴを見たという意味でしょうか?それともレコードで?
B)その頃、私はパブなどに行くにはまだ若すぎたので最初はレコードで聞いたんだ。