2.マディ・プライア&ザ・カーニヴァル・バンド
Q)さて、ザ・カーニヴァル・バンドの結成の経緯についは、オフィシャルサイトの説明で大体分かりましたが、かなり演劇と係わっているのですね。マディさんの活動にも演劇的な要素が有りますし、まずこの事を大変興味深く感じます。
注)http://www.carnivalband.com/の記述によれば、バンドの元々の発端は、1983年に各地を巡業してラブレーの『ガルガンチュア』を野外上演した劇団に中世音楽のミュージシャンとして参加していたアンディ(音楽監督でもあった)が、巡業の終了後に同じくそこに参加していたジャイルスとビルに声を掛けて結成したという。ちなみにその劇団のバンドは、「役者とミュージシャンの寄せ集めバンド」という意味あいで「カーニヴァル・バンド」と呼ばれていたようだ。〔蛇足だが、マディ&ザ・カーニヴァル・バンドのデビュー・アルバムの『A TAPESTRY OF CAROLS』 (英SAYDISC CD-SDL366,'87)にはバンドの結成は1984年と明記されており、同セカンド・アルバムの『プロテスタント会衆讃美歌』 (キングKICC-5706,'90)の原盤解説にも「バンドは1984年の夏に、リーズとリバプールをつなぐ運河の引き船道でデビューを果たした」と記されているのだが、まあこれは1983年の劇団をきっかけにして1984年に正式にスタートしたという事なのだろう。〕
M(マディ)/G(ジャイルス))その通り。今回はやらなかったけれど、私達はアルバム『ゴールド・フランキンセンス&マー』 (トリニティー TRCD0165)の中の曲みたいな、長い演劇的な曲もやっているし、昨年はまだ録音していないけれど『女性兵士(FEMALE SOLDIER)』もやりました。
Q)マディさんとザ・カーニヴァル・バンドの音楽はそのように近年大きく広がっていますが、初期のアイデアというのは、『プロテスタント会衆讃美歌』のCDの様に18世紀のギャラリー・バンド(讃美歌の伴奏をした教会のバンド)の活気のあるサウンドを現代に蘇らせようという事だったのでしょうか?
M)そのアルバムについては確かにそうですね。そのアルバムは年代的にも限定され音楽を選んで取り上げていて、もともとのギャラリー・バンドがこのように凄くエネルギッシュな感じでやっていたのだろうというつもりで演奏したのです。年月を経ていくにつれて次第にエネルギッシュではなくなり、ゆっくり歌われるようになったり、歌の一節の最後にポーズを入れたりするようになったのですが...私達はもともとの音楽の演奏をそっくり真似(再現)しようというよりも、もともとの音楽のエネルギーを取り戻したかったのです。
Q)それから『キャロルズ&ケイパーズ』 (トリニティーTRCD0161,'91)
も重要なアルバムだと思います。キャロルの語源はもともとダンスから来ていると言われていますが、実際にキャロルとダンス(ケイパーズ)を並べてアルバムを作ったというのは、やはり両者の関係をはっきり示す意図があったのでしょうか?
M/G)まさにそうですね。それと言葉遊びで、ケイパーズ(本来はダンスのステップを意味する)にはジョークとかトリックの意味もあるのです。だからこれらを引っかけたようなダブルミーニングにもなっているのです。
Q)なるほどそれも含めて言うと、キャロルは一般にはとても敬虔なものと思われていて、ジョークとかダンスの浮かれ騒ぎとは全然別のものと思われていたのに、それを一緒にしたのはやはりとても特徴的だと思います。
M)そうですね、キャロルが持っているイメージをもう少し明るくしたいという意図もあったかも知れないわね。今の時代にそれが意味を持てるようにというか、楽しめるようにね。もちろんキャロルをシリアスなものと捉えている人々は多いですし、実際にそういう歌もありますよ。例えば「コヴェントリー・キャロル」などは絶対に神聖なものとして歌うべき歌なのです。
Q)さて最新アルバムの『ゴールド・フランキンセンス&マー』についてですが、CDで音を聴いても非常に演劇的に感じるのですが、実際にステージでも演劇を伴うような形で上演したのでしょうか?
M/G)そう、本格的な演劇をした訳ではないけれど、ちょっとばかりね。
G)まず、僕たちは客席の間を通って登場した...
M/G)中東の砂漠とかラクダとかの映像をプロジェクターで背景に映してね..。
M)そして私は衣装をつけていたし..。
G)僕たちもいつもとは違う服を着ていたんだ...それから「SONG OF THE ANIMALS 」の曲では僕達はベニスの動物の仮面も付けたね。
Q)このアルバムを聴いた時に一番驚いたのは、基本的に今までは既存の曲を演奏していたのに、これは自作の曲が多かった事と、それからやはり中近東の音楽が大胆に取り入れられていた事でした。こうしたアルバムを作ったきっかけは?
S(スティーヴ))うーん、いつの年かは忘れたけれど、マディの住んでいる家の近くでクリスマス・ツアーのリハーサルをやっていた時に、僕とラフ・ミズラキ(今回は来日しなかったカーニヴァル・バンドのパーカッション奏者)が、トルコのパーカッションのダルブッカなどを使ってみようと思いついたんだ。考えてみればもともとクリスマスは中東の地域の物語だから、そちらの地方の楽器を取り入れてみようと思ったわけさ。
Q)なるほど、しかしパーカッショニストだけではなく、バンドの皆さん全員が、想像以上に中近東やアフリカの楽器に堪能なのに驚きました。
S)ジャイルスはエジプトのバイオリンを学んだんだ。
G)そう、バンドの幾人かのメンバーが中東の楽器や音楽に興味があって学んでいます。例えば、ラフはモロッコのフルート奏者と一緒に演奏していた事もありますし、僕はエジプトで勉強しました。それで、そうした音楽を使って、もともと中東起源のクリスマスの音楽をやるのは良いアイデアだと思ったのです。特に今回、3人の王様の話をやりたかったし、丁度マディもやりたいという気持ちがあって一致したんだ。今までも断片的にはやっていたのだけれど、今回ほど明確な形でやったのは始めてですね。
Q)なるほど、中東の要素の強いアルバムですが、しかしラストは英国の作曲家のピーター・ウォーロックの美しいキャロル(「BETHLEHEM DOWN」) で終わっていますね。これはイングランド人としてのアイデンティティを表しているのでしょうか?
M/G)ハハハ、とても美しいハーモニーで、大好きな曲でしたからね(笑)。
Q)先程もちょっと話が出ましたが、次のアルバムは18世紀のイングランドの女性兵士を物語をテーマにしたものとか。具体的にはどういったものなのでしょうか?
M)それは、ハンナ・スネルの物語に基づいたものなの。彼女は18世紀のウスター(イングランド西部)出身の女性で、最初は陸軍に入隊して、それから海軍にも入隊したの...その後、年金を貰う為に兵役に就いていた事を証明しなければならなくなって秘密を明かして、それから舞台に出て有名になったのよ。そして最後には気がふれてベドラム精神病院で亡くなった。つまりこういった生涯の物語なのよ、ハハハ(笑)。
G/S)ちょっとばかり分かりにくい物語かも(笑)。当時、女性兵士のモチーフがとても人気を得て多くの歌が書かれたんだ。例えば彼女は恋人を追って男装して入隊したとか、いろいろな説がある...
Q)と言うことは、基本的には18世紀に書かれたバラッドを題材にしたアルバムになるのですか?それとも新たに書いたオリジナルの歌なんですか?
M)その両方が混ざっているわ。
G)18世紀ぐらいのミリタリーな感じの曲と自分たちの自作の曲があります。ストーリーを見つけて良い曲がなかったら自分達でそれに合わせて書いたりしました...
Q)英国には女性兵士についての有名なバラッドも多いですし、とても楽しみです。
M)そう。この作品ではアンディ(・ワッツ)がメインになっていろいろリサーチしているの。美しい曲も沢山あります。
注)ハンナ・スネル(Hannah Snell)は英国で最も有名な女性兵士と言われる人物でその生涯は様々な形で語り継がれてきた。ハンナは1723年ウスターに生まれ、若くしてロンドンに出て1744年にオランダ人の水夫と結婚。早々に子供を宿すも、妊娠中に夫は彼女を捨てて出て行ってしまい、子供を流産した後に彼女は、最初はその不実な夫の跡を追いかける目的で軍隊に入る決意する。従兄弟のスーツを纏って見事に男した彼女は、英国軍に徴兵され、まずボニー・プリンス・チャーリー(イングランドに対するスコットランドの軍事蜂起を指揮したが、失敗に終わった)の敗走部隊の追跡に加わったという。その後、彼女は海軍に入隊し、インドへ送られてポンディチェリ(インド南東部)でフランス軍と戦った。彼女はその戦いで重傷を負ったがそれでも女性である事を隠しつづけたといい、1749年に帰国した。このようにして4年半に及ぶ男装での軍隊生活を過ごした後、彼女はその秘密を大衆に公開して、一躍ロンドンの人気者になったという。そして英国軍は彼女の功績を認めて予てから彼女が請求していた終身年金を与えた。こうして1750年末までには、この女性の武勇伝は英国中に知れ渡る事になった。しかし、晩年のハンナは詳細不詳の病気でベドラム精神病院へ送られ、その劣悪な環境の中で1792年に亡くなったという。
(資料 "The Hannah Snell Home Page http://www.users.bigpond.com/ShipStreetPress/Snell/Lifestory.htm")